統合失調症患者の徒然日誌

毒にも薬にもならぬ文字を書き捨てる。

母が亡くなって、6年経った。

あの日からの6年間は、茨の道の様な、それでいて穏やかな凪の様な日々だった。

生き物は親を超えるもの、という精神的親殺しの概念に照らし合わせれば、僕は何度か母を殺している。

これまでの6年間、とても口の堅い人物二人にしか話せていなかった事実がある。

僕は母が亡くなる1か月前に、母とある約束を交わしていた。

それは、いよいよあの人の命が危うくなったら、僕がとどめを刺して、僕自身も後を追うという約束だった。

だから、メンヘラ.jpに投稿した記事の中にある、亡くなる直前の母から「殺してくれ。」と頼まれた時のやり取りは、実際のやり取りとはちょっとだけ違う。

あの時、母は「約束したのだから、頼む。殺してくれ。後から追って来てくれるんだろ?」という旨の発言をした。

その発言を聞くまで、僕は本当にそうするつもりだった。

でもその言葉を聞いてから、「出来ない。」と返事をするまでの5秒間は、人生で一番悩み、そして一番長かった時間だと思う。

あの時、母にとどめを刺さないという選択をした時点で、あの男は死んだ。そして母も。

そしてこの男は、それからの6年間を出来る限り贖罪に費やした。

とても、想像を超えるほどの長い時間だった。

ほぼ毎日、母が夢枕に立って責めてきた。

母の立場としては当然だろう。

しかしそれもここ最近は全く見なくなっている。

きっかけは先週見た夢だと思う。

夢枕に立った母にいつものように責められた。

そしてこう言われた。

「もう十分すぎるほどに頑張ったんだし、こっちにいらっしゃいよ。こっちは楽だよ。」

なぜだか分からないけれど、カチンときた。

十分?十分頑張った?

違うな、それを決めるのはアンタじゃない。

「母さ…、あんた、亡くなってもう6年目になるんだけど、なんでまだこっちをふらついてんだ?そっちはよっぽど暇な場所なんだな。そこにあんたが居るうちはぜってえ行かねえからな。」

すると母は何とも言えない顔つきになって、消えた。

たぶんこれで、概念的な母殺しは完全に完了したのだと思う。

長い6年間だった。

さあ、新しい時間を刻もう。


おわり。

ライフハックを書き残したい。

今まで色々なことがあった。

ある人にこの31年の人生を言わしめれば、それは悲惨の一言であったり、また別の人から言わせると、まだまだ序の口だったりと評価が分かれる。

間を取って、「酷いものでも大したものでもない人生。」としておこう。

とにかく、約三十年間「まだ生きていたい。」という意志を抱いて、死にたさに飲まれながらも、何とか生き延びてきた。

残念なことに希死念慮の死にたさにはまだ包まれている。

でも、俺は死ぬつもりなんてないし、絶対にまだ死ねない。

だからこそ、残念で悲しいことに人生は続く。

重要なのは命を落とさない、あるいは奪われない事なのかもしれない。

「まだ生きていたい。」という意志で生き延びてきたけれど、具体的にどうやって生き延びてきたか?それを書くべきなのか?

ある時の話をすると、究極の金欠とどん底の鬱が重なって、10日間砂糖水を飲みながら生き延びたりした事もあった。

似た様なサバイバル話は沢山ある。

だけどここまでの突き詰めた状況の話に需要があるんだろうか?

たぶん無いだろう。

人の数だけ状況があるのだ、個人の体験談にそこまでの普遍性は与えられない。

そこで気が付いた、たぶん重要なのは心構えや、覚悟の様なものだ。

俺自身、「生きていたい。」という意志だけで生き延びれたんじゃない。

それを支えてくれた力の一つとして、本に書かれた言葉たちがある。

そう、数々の言葉が、僕に生きる力を分けてくれた。

きっと、そういった人を勇気づける言葉を、僕は書き残したいのだ。

終わり。

政宗さん、再び音楽の道に戻るの巻

1月某日

「先生、創造性と表現力が働かないんです。趣味の文章も書けないし、音楽のアイディアも出ない。」

「…政宗さんは感受性がとても強い人です。恐らく、政宗さんの症状の源泉はその感受性にもあると思います。
今処方している薬は、どれもそういった創造性が低下する作用があります。症状を抑えるためには仕方ないのですよ。」

「じゃあ、もうアイディアは出てこないんですか?」

「どちらを取るかです。症状の付きまとう創造性か、平坦で平穏な状態か。」

―――――――――――――――


それからというもの、じわじわと、背後から影が這い寄るように、僕の創造力と表現力は落ちていった。

ダラダラと書いてきた文章の書き出しが思いつかない。

当時所属していたバンドの曲作りのアイディアも浮かばない。

当然、思考力も回らない。

メンバーから「こういうフレーズを弾いてくれ。」と頼まれても、それを覚えるのすら人の五倍くらいの練習を要した。

その変わり、練習して覚えたフレーズは頭が完全に忘れても、ベースを構えると手が勝手に動いた。

一番困ったのはリズム感だった。

もともと危うかったのが、思考力の低下でさらにガッツリとやられた。

だんだん、自分の出来ない不甲斐なさが苦痛になっていった。

それでも人前で演奏する時は、出来る範囲で演奏面では様々な気を使った。

弦を弾く強さ、弾く位置、弦を押さえる指の角度。

創造力は落ちても、体の使い方には注意を払えるのが救いだった。

おかげで、当時のメンバーからの又聞きの形で、他の演者さんから僕のベース演奏に関してのお褒めの言葉を頂けたこともあった。

頭は働かなくても、体は使えるのだ。それが分かったことは収穫だったと思う。

でも、どんどん創造力、表現性は落ちていった。

6月の時点で、アイディアが完全に出なくなってしまっていた。

本当に苦しかった。
創作の生みの苦しみすら味わえなくなっていた。

並行して、当時余命半年と言われた父の闘病生活も絡んできていた。

僕は定期的に埼玉に帰って、父の面倒を見たりしていた。

流石にメンタルが不死身レベルの僕でも、どんどん肉体は疲弊していった。

6月末のある日、疲れ切った僕は、当時住んでいた横浜の部屋のベッドの上で二日近く意識を失っていた。

じわーっと意識が戻り、ぼやけた視界でスマホのカレンダーが7月に変わっているのを見て、もう潮時だなと思った。

このままでは、父も僕も死ぬんじゃないだろうか、という予感が働いた。

死ぬわけにはいかない。

生き延びねば。

それから数日後、僕はバンドメンバーに埼玉に一時的に引越して帰ると告げた。

余命宣告された父の残り時間も迫っていたからだ。

そして埼玉に帰った。

それからしばらくして、父はどういうわけか一命を取り留めた(人体の不思議レベルの回復力で)

しかし、僕の創造性と表現力は回復しなかった。

表現で何も出来ない事が相当なストレスになった。

同時期、バンドでも色々な変化が起きていた。

たぶん、このバンドは大きな変化にある時期なんだろう。

そして今の自分の精神状態、能力ではかえって出来ない事がストレスになる。

少なくとも、この状態が続いたらそれは大きなストレスだ。

それはバンドにも良くない。

昔から変な潔さだけはあった。

他にも様々な事情はあったけれど、僕は当時のバンドを抜けた。


それからどう過ごしていたのかというと、10日近く寝込んだ後、ある方法を思い立ち、ひたすら文章のインプットを増やした。

多い時では一日4冊ほど本を読んだりしていた。

大量の詩集やエッセイなどを消費した。

本以外にもネット上のテキストも漁った。

そうやって、頭に他人の感性を大量にインプットした。

古くなったガラケーのバッテリーは強い電流を流して復活させることが出来る。

それを脳の感受性に応用してみた。

荒療治なショック療法だったけれど、結果は狙い通りだった。

薬の処方は変わってないのに、自分の基準では人並みレベルの感受性を取り戻せた。

さて何をしようか、と思っていたところに、ある友人が声をかけてくれた。

「バンドやってみたいのでベース弾いてください。」

まさか、もう音楽活動のチャンスはないかもしれないと思っていたら、こんな嬉しい話が舞い込んでくるなんて。

僕は二つ返事で承諾した。

6時間後には他パートのメンバーも揃った。


というわけで、政宗さんバンド活動再開するっぽいよ。


終わり。

一年

××様

お久しぶりですね。
あなたの訃報を知った日から、一年くらいが経ちました。
一年間、色々とありました。

横浜に引っ越したり、父が末期がんになって闘病を始め、また埼玉に引っ越したり。

父の件については今月頭にひと段落しました。
父はなんとか生き延びて、今は毎日モリモリと飯を食べて、一日10キロ位自転車で運動しています。

あなたのお墓には未だにお参りできていません。ご家族から教えてもらえないのです、行けなくてごめんね。

あなたが僕に「殺してよ。」と頼んだ時の、あの首に回した手の平の感触はまだ忘れられそうにないです。

最近はあなたの声がどんなものだったか、記憶がおぼろげで、何とか思い出したい一心で、二人で入った飲食店とかに行ってみたりしてます。

ああ、これ美味しかったなあって思いつつ、でもそれを食べていた時のあなたがどんな表情だったか、その記憶もあいまいです。

とても、とても、申し訳なく感じてしまいます。

思い出が堆積物のように、古い層になっていくのです。

いつかこの記憶の地層を掘り下げても、あなたの思い出にたどり着くことが出来なくなる時が来るのでしょうね。

あなたが逝ってしまったこと、今でもショックです。

最初のショックから立ち直るのに、何か月もかかりました。
一年たってもショックなのは変わりないです。

話はちょっと逸れるけれど、この一年の間に、もう一人逝ってしまった人もいます。
他に友人で逝きそうになって、現在入院している人が一人います。

幾人かの親戚や、あなた方の悲惨な死の経験をいくら重ねていても、やはりこういうものには慣れる事は出来そうにないです。

あの時、あなたを、あんたを、本来の望み通りにちゃんと怒ることが出来ていたら。

こんな過ちは起こらずに済んだかもしれない。
それだけが本当に心残りです。

だけどもう起きた事実は変えようがないし、前なのか後ろなのかは分かりませんが、どこかを向いて僕は進んでいかなければなりません。

お互いとても苦労していたのも知っている仲です。
だから今後も見守っていてくれとか、そんな陳腐なことも言いません。

僕は僕でやるべきことをこなしていきます。

ではこれにて、起こしてごめんね、おやすみなさい。またね。

まとまった形でのご報告。

八月初旬の検査で、父の咽頭にあった巨大な癌が、父の頑張りと努力、そして担当医師の努力のおかげで消失いたしました。

八月末に、PETという検査を行い頭部深くのリンパに軽く転移した癌の様子を検査いたしました。

そして九月五日にその結果を聞いた所、癌の消失が確認されました。

これで全身のガンが消えたことになります。

あとは放射線の検査結果の見立てを聞いて、それ以降はこれから五年間の定期検査を切り抜ければ、晴れて癌の寛解となります。

父は今年の二月に余命半年と診断され、七月の半ばまで実家で一人で暮らしておりました。

それはとても、筆舌に尽くしがたいほどの、恐怖であったと思います。

現代の医療の発達にも、とても驚かされるものがあり、医療サイドにも感謝しきりですが、それよりもさらに驚いたのは父の諦めない気力です。

そういうところ、誰かに似ているなと思って記憶を巡らせたところ、父の妻であった女性、つまり僕の母にそっくりでした。

思えば亡くなった母も癌で亡くなるまでの間、一切あきらめず妥協しない性分でした。

きっと父と母は似た者同士で惹かれあったのでしょう。

それで僕が誕生したわけです。

母も色々な意味ですごい人間だなと思っていましたが、今回の一件で、父に対する認識もガラッと変わりました。

親父すごい。本当にすごい。よく生き延びて頑張ったと思う。


色々なことが重なって、僕はとても両親を恨んで憎んでいました。

今もそういう感情がないかというと、それは嘘になってしまいます。

今はそれはそれとして置いておいて。

それらを水に流すことはとても難しいけれど、代わりに新しい何かを積み重ねていくことも、出来るのだなと思いました。

僕は今でも、時々とても深い鬱に落ちる事がありますが、それでも体を動かすことが、なぜだかできてしまいます。

精神疾患を持つ幾人かの友人から、時々、「ありえない、人間業ではない。」と揶揄されることがあります。

自分でもなぜ動かせるのか分からず、人に説明するのも難しいので、ざっくりと「気合いor根性で体を回している。」と説明しています。

どういう仕組みなのかは未だによく分かっていませんが、そのきっかけを与えた源流は両親と祖父祖母達の血筋なんだな、と最近思うようになってきました。

源流となった母もすごかったし、父もすごい。
祖父祖母たちも色々とすごい人たちだったので。


とにかく、今はそれを受け継がせてくれた事に、とても感謝している次第です。

おわり。

自分の中に眠っている言葉たち。

こんにちは、政宗です。

ここ数日はTwitter断ちをして、自分の中に眠っている言葉と向き合っていました。

おもに一人前190円なのに、上質な馬肉を食ったり、餅を一気に六つ焼いて食べたり。

エモいお気持ちになれる景色を探しに散歩したり。

そんな感じで日常を穏やかに流してみたけれど、やはり心のどっかでは現状流れている人生って川の緩やかな流れを止めたいみたいな衝動があって。

人生ままならないなあと思いつつ、そんな衝動に立ち向かったり。

やっぱりね、小さい頃から続くそういった衝動っていうのは、この年になるともう生き方の癖になっているし、たぶん性格というシステムの根幹に食い込んでいるんだなって思いました。

でもね、いい加減この根幹の部分とガチンコにぶつかり合うってのも疲れてきてます。

かといって、この問題が完璧なまでにガラッと解決した時、それは僕なんだろうかって気もするんです。

人生の流れを終わらせる衝動の達成と、そういった衝動が全くと言っていいくらい無くなって生きた場合、どちらも衝動の終焉としては同義であるような気もします。

少なくとも、この衝動が消えるという点については。

なんてことを考えていたら、それなら達成されようがされなかろうが、あんまり大差はないのかなって気もします。

ならこのまま臆病な形で生きていくしかないんだろうなって、最近は思うようになりました。

哀しいことに、人生最速クリアタイムアタックを決めてきた人物が、この人生で何人かいます。

とても哀しいです。

彼/彼女たちは思い出の中にしかいないため、これ以上老けることはありません。
それと同様に、新しい思い出を作って行くこともできません。

だけれどそれでも時間は残酷に流れていき、思い出には補正がかかって、記憶の中のあいつらはキラキラと輝いていきます。

時たま、頭の片隅であの人たちが文句をつけてきます。

「なんでお前はまだ生き延びているんだ、一番の死にたがりはお前だったはずだろう?」
「自分たちは死んだのになんでお前は生きているんだ。」

もう言い返す言葉すら出ません。だってその通りなんだから。

自分でもなんでここまで生きてこられたかは、さっぱり理屈が分からないです。

時たまそんな僕を指して、強いよね、と言ってくれる人がいます。

違うのです。僕は強くない。

きっと、僕はあの人たちよりとても臆病なんだと思います。

先に逝った人たちは、とても意志の強い人たちでした。

だからこそ、それだけ意志が強いからこそ、この世から去った今でも、僕の頭の中に残り続けているのでしょう。

「ごめんな、お前たちみたいには強くなれそうもない、臆病者なりに尽くせる手を使って何とかしぶとくまだ生きるわ。死ぬのを忘れたわけじゃないんだ。ただ、怖いんだ。だから俺は生きるよ。」

あの人たちが頭の中に出てきた時に贈ることが出来る言葉は、これくらいしか今の僕は持ち合わせてません。

というわけで、自分の中に眠る言葉に出会った約三日間なのでした。

酩酊。

八月の末、台風が2つ迫った夜空には厚い雲がかかっており、星は見えない。

数時間前から降り続けている雨によって、周りの音は静まりかえっている。

そんな雨の中を、傘をささずに散歩し、そろそろ潮時だと思ったところで近所の公園にたどり着く。

公園内をぐるりと歩き回り、植えてある樹木を一本ずつ吟味する。

良さそうな木を見つけると、手頃な高さにある枝に、手製のロープを掛ける。

試しに全体重を一気にかける。

呆気なく、湿った破断音を立てて足元に折れた枝が転がった。

その光景を目にした途端、胸の奥底にあった恐怖心が表面化し、すぐさまその場を立ち去りたい衝動にかられる。

折れた枝を近くの草むらに放り投げ、雨を吸って湿ったロープを仕舞い、その場を立ち去ろうとすると背後から声がした。

「またそうやって逃げ出すのか。」

誰かと会話している時、いつも自分の頭蓋に響く声と全く同じ波長の声が、矢継ぎ早に責めてくる。

「いい加減、このくらいでキリがいいんだ。なあ、分かってるんだろ?そろそろ一発で決めてみせろよ。この臆病者。」

「うるさい黙れ、タイミングとか、それを決めるのはお前じゃないんだよ。」

「全く…。この会話もお決まりになってきたな、俺はそろそろ飽きてきたよ。お前じゃないけど『全部飽きた。満足いった。』ってやつだ。お前だってもう疲れてるだろう?」

「黙れと言った、お前といくら議論したってなんの真理も掴めない。罪とか、救うとか、それはお前や他者から与えてもらうものじゃない。俺が俺の手で掴まなきゃならないものだ、他人から与えてもらうものではないはずだ。」

「はいはい、分かった分かった。まあ、気が向いたらまた声をかけてくれよ。俺はいつでも待ってるぜ。」

いつでも待っている、か。
その言葉に思うところがあり、何とも言えない表情になる。


そして僕はまだうるさく喋り続けるその声を無視すると、土砂降りの中を足早に進む。

ここ最近、前回の元カノの自死からちょうど一年のタイミングで、別の元カノが自死を遂げた。

遂げた、と言うにはやや正確さが欠けており、今回の件について僕はその話をした知人からその時の状況を詳しく聞くことは無かった。

彼女はよく吐いていた。それにも理由があるのだが。

彼女は常日頃から溜め込んだベンゾジアゼピンをODし、アルコールをギリギリの量まで飲み、酩酊していた。

あの頃を思い出す。

―――――――

「こうしていると何も怖くなくなるの、生きてることも、昔のことも。これをやめたらどうやって生きて行けばいいか分からない。」

僕はそんな独白のような独り言を聞きながら、床に散らばった薬物のシートを片付け、風呂場から洗面器を持ってくると黙って彼女の横になっているベッドの枕の横に置く。

しばらく経つと彼女は「気持ち悪い。」とうわごとのように繰り返し始める。

僕はうんうんと頷きながら、彼女の首の下に腕を回し、体を起こしながら顔を洗面器に誘導する。

彼女もその意図が分かったのか、自分の体を支えつつ、洗面器に顔を突っ込む。

吐しゃ音を立てながら彼女が吐く。

一通り吐き終えたと思うと、彼女は泣きだした。

しかしまだ吐き気は続くらしく、彼女はえづきながら何かをしゃべっている。

僕は静かに、うん、うん。そうだね。辛いね。と相槌を打つ。

このままだとこの子はそう長くないな。そんな不謹慎な予想が脳裏をよぎる。

彼女は寂しがりやで、僕に連絡があるたび「今から行くよ。」と僕が言うと、「いつでも待ってるよ。」と返してくるのだった。

――――――

家にたどり着く。

今まで亡くなった人たちに僕は報えているのだろうか?

彼/彼女たちがもうこの世にいない以上それを確かめるすべはない。

 


その日からしばらく経ったいま、僕は答えを自分の中に見つけられていない。

たぶんこれらの問いの答えは、他者の中にはない。
自分と深く向き合わないと、おそらく答えは得られないであろう。
答えは自分の中にしかないのだ。

誰かの書いた本や文章、芸術作品の中には、限りなく近似のものはあるだろうけれど、それは僕の答えではない。

どうすればいいんだろう。

そう悩みながらこの文章を打っている。

もっと、もっと深くまで潜らなければ。

いつか必ず、真理にたどり着いて見せる。

終わり。


作成時BGM
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