統合失調感情障害患者の徒然日誌

毒にも薬にもならぬ文字を書き捨てる。

お醤油のお話。

唐突だが、お醤油が大好きだ。


幼少期から、夕飯のお刺身に付けるお醤油が大好物だった。

お刺身がメインではなく、味覚に強烈な刺激を与えてくれるお醤油が、僕にとっては真のごちそうだった。

マグロ?そんなものは知らん、どうでもいい。

それよりお醤油だ。

そんなお醤油好きが高じてか、僕はたまにお醤油を飲む。

初めてお刺身を食べた時に、小皿に残った醤油を飲んだことがきっかけになっていると思う。

いや分ってる、引かないでもらいたい、飲むと言ってもほんの少量なんだ。赤紙対策でもないんだ。

どれくらいの量かというと、小皿にほんのちょっと醤油を垂らして、それをずずいっといく。

口の中に、香ばしさと大豆由来アミノ酸のうま味、塩分が広がっていく。

まさに至高の瞬間。

そんなこんなでお醤油好きが高じて、某農大の短期大学部醸造学科にまで入学してしまった。

そんな短期大学部も改組転換だかなんだかで吸収されて消えてしまったのだけれど。

そんな感じで醸造知識を深めていったおかげで、当時は醤油の種類をティスティングで判別出来る様にもなり、僕の醤油飲みライフはとても充実していった記憶がある。

この行為が世間ではおかしいことだと認識されていることに気が付いたのは、当時同級生と飲み会に行った時である。

居酒屋の据え置きのお醤油が、プライベートブランドの商品だと気が付いた僕は、味を確かめるために小皿に醤油を垂らし、飲もうとした。

その瞬間、同級生たちに「体壊すからやめなって!!!」と必死に止められたのである。

????

「え、お醤油飲んだりしないの?」

「普通飲まないよ、体壊しちゃうじゃん。」

えぇぇ、こんなに好きなのに飲んじゃいけないのか、知らなかった。

それ以来、お醤油はあまり飲まなくなったのだけれど、なぜこれを今こうして書いているかというと。

実はさっきお餅を3つほど焼いて、お醤油で食べた。

残った少量のお醤油を見ていると、いてもたってもいられなくなり、結果として飲んだ。

かなり久しぶりに飲んだお醤油は、とても美味しかった。

塩分イズジャスティス!!!

余談だが、僕は味噌をオカズに白米を食べたりもするが、その話はまた別の機会に。

クリスマスイブ、大晦日、元旦、正月明け。

年末から年始にかけて、他者の「死にたい気持ち」に触れてました。

思えば自分の死にたい気持ちにはとことん向き合っているけれど、他者のそういった気持ちはあまり見聞きしたことがないと思う。
(とは言ってもそれなりに人から聞いてはいる。)

23日の夜に、都内在住の人物から夜中に「確実な死に方を教えてください。」という連絡がきた。

本人の口調はろれつが回ってなくて、おまけに相手は泣いていて、言葉をうまく聞き取れない。

説得を試みたけど途中で通話が切れてしまう。

連日の体調不良で翌日の昼過ぎに起きて、初動をミスったと思いつつ都内まで向かう。

本人は家でぶっ倒れてたけれど何とか生きていてくれた。

とりあえず看病で水分とかを多めに飲ませて、夕方になって川崎をぶらぶらして解散。

二日後の26日に一緒にガンダムの新作映画を見たり、年末年始は「おせちが余るから食べに来る?」とお呼ばれしたので、再び都内へ。

三日に埼玉に帰ってきて、四日の夜に連絡をしたところ、ひっ迫した状況になっていた。

慌てて終電で都内に向かって、初手で救急に連絡するか悩んでいるうちに都内へ。

当人は生きていてくれて、その人が落ち着いて冷静にしゃべれるまでずっと待ち続けた。

途中で眠ったりしつつ、翌日の午後4時ごろからぽつりぽつりと、その人は自分の死にたい気持ちを喋り出してくれた。

連続的に身内に不幸が続いていて、「自分よりも先に人が逝くのが悲しい、悲しくて耐え切れないからみんなよりも先に死にたい。」

泣きそうな顔でそう語っていた。

その人の悲しみがなんとなくの形で伝わってきて(だって個人の悲しみはその本人にしか抱けないから、完全には理解しきれない。)

ものすごく言わんとしていることは伝わるんだけど、どうしても完全にわかってあげることが出来なくて、でも分かりたくて。それがとても、もどかしかった。

僕自身も色々な死を乗り越えてきて、なんでこんな辛くて悲しい思いをして生きていなきゃいけないのか、全く分かっていない。

こんな悲しい思いをするなら生きていたってしょうがないとさえ思う。

それに、僕は高校、短大と微生物を通して生命にかかわる学問を修めたというのに、未だに命の意味が分かっていない。(これに関しては本当に愚かだと思っている。)

だから今でも自分の命の意味と実存を知るために、死のうと考えている時が頻繁にあるし、こういう思考の癖がついている。

それでも生きているのはかなり偶然に近いし、この偶然の根底にあるのは、かつて母から心中を迫られた時に「それでも生きていたい。」と言った言葉が働いているからだ。

それでも生きていたいと言った以上、僕がそれを突き通さなければ嘘になってしまう。

なぜそこまでして生きるのか、僕に理由は分からない。

分からない以上、確かめねばならない。

でも確かめていくことも辛い。

それでも生きていた方が幾分かマシだったと、僕は自信を持って言えるから、だから皆に「それでも生きようよ。」と言い続けたい。

 

2018年 総まとめ記事

さてさて、今年は(も?)色々ありましたね。

主に去年の八月から色々あったので、トピックスをまとめてみましょう。


2017年8月
バンドメンバーのツテで横浜に引っ越す。
さらにメンバーの親御さんの会社にバイト入社。

別れてからも友人付き合いのあった元カノが自死

2017年9月~2018年4月
上記の出来事で徐々にメンタルが不安定になっていく。
入院するかしないかを迫られている時期の12月に人生初ライブを行う。
ライブの影響か少しはメンタルを持ち直す。
以降、毎月メンタルが乱高下し、何度か入院しかけるも、ライブをするたびに一時的に回復。

2018年2月(1月?)
父が末期がんで余命半年の宣告を受ける。
埼玉に住むある元カノが飛び降り自殺未遂を起こす。
元カノは腰の骨を粉砕骨折し、一命は取り留めたものの、歩行は出来るが走れない体になる。(わりとデカいショックを感じた。)

2018年5月
5月についに念願の、横浜の寿町は「音小屋(ねこや)」にてライブをする。
相変わらずメンタルは乱高下、何度か死にかける。
飯を食わなさ過ぎて、血液検査の結果では極度の栄養失調と超低血糖と言われ、それでも活動できていることに医者がドン引きする。


2018年6月
入退院を繰り返す父がいよいよアレな感じになっていたので、埼玉に戻るか悩みだす。

2018年7月
埼玉に戻る。
引越し連絡を友人にしたところ、友人から別の元カノの死(状況的には自死)を知らされる。過剰に処方薬とアルコールを摂取する人だったので…。
引っ越し後、しばらくしてから父の状態が良くなり始める。

2018年8月
どういう訳か、父の癌が消え、ここから父の超回復が始まる。
自分の精神状態的にも厳しかったのでバンドを抜ける。

2018年9月
今までの疲労が出て虚無になる。

2018年10月
徐々に死んでいた自分の感性を取り戻し始める。
Twitterで誘われ、バンド結成。
とは言ってもメンタルがダメダメだったので、入院を検討するが、入院しない自宅療養に徹する。

2018年11月
疲れから虚無になる。
父、職場復帰。

2018年12月
色んな人とオフ会とかやったり。
多分ここ最近で一番充実していたのが12月。
とは言っても色々あった…。もうお腹いっぱいだから書かないけど…。

今年は本当に色々ありました。
皆さまには生ぬるい感じの目線で見守っていたき、本当にありがとうございます。

来年も頑張りますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます!!!

xx歳になれなかったあなたへ、来年32歳の私から。

◇◇様


お久しぶりです、政宗です。


こうやって手紙を書くのも何度目かになりますね。


僕が30歳になる数ヶ月前、あなたは「やだなぁ、私ももう少しでxx歳だよ。それでも政宗さんには追いつけないけれど、もう老けたくないなぁ。」と言っていましたね。


あれから時が経ち、もうじき僕は32歳になる年号に突入しそうです。


あなたの時間は過ぎることなく止まってしまっています。


先日、埼玉県の某所で立ち往生している車椅子の女性を手助けしました。


声をかける直前、髪型と横顔があなたに似ていると思って、声をかけるのを少しためらいました。


勇気を出して声をかけた時、その人の声を聞いて、その人には失礼だけれど、一瞬凍りついてしまいました。


あなたと声もそっくりだったし、正面から見た顔のつくりもそっくりだったのです。


そんな出来事があって、あなたを思い出しました。


だから今、改めてこの手紙をしたためています。


あなたが去ってから、色々考えました。


あなたの言っていた「だから政宗さんは死ぬまでひとりぼっちだよ。」や、遺書の中にあった「私は政宗さんに本気で怒られたかったんです。」とか、そう言った言葉たちです。


あなたは僕に文学の面白さを叩き込んでくれた人です。


だから相応に言葉の重みも理解していて、その上で、ああいった言葉を投げかけてきたのだと、僕は認識しています。


結果的に話すと、僕はいま物理的には一人ぼっちではないです。


だけど、あなたはこういうことを言いたかったのではないと、今はそう思います。


多分、僕の心の持ちようが「死ぬまで一人ぼっちだよ。」と、そう言いたかったのでしょう。


そういった意味では、その予言は当たっています。


大昔にあなたに話したことがありますね。


「変なスイッチが入ると、世の中の全てが茶番に見えてしまうんだよ。」


この言葉を分析して、あなたは「物事を茶番と認識した時点で、あなたは一人ぼっちになってしまうからね。」と、こう言いたかったのでしょう。

 

あなたは知っていると思いますが、あなたの嫌いな作家の太宰治の作品に、「トカトントン」という作品があります。


作品中に出てくるある男が「トカトントン」という音を第二次大戦の終戦時に聞き、それ以来何かに情熱を注ごうとしても「トカトントン」という音が頭の中に聞こえて、やる気を削がれて辞めてしまうという内容です。

 

今の僕はまさにその状態に近い時を、1日に二回は経験します。


多分これは病気ではなく、僕の心の持ちようなのでしょうね。


あなたはそれをとうに見抜いていた。


だからそういう意味で「あなたは死ぬまで一人ぼっちだよ。」と言ったのですね。


流石の観察力です。


それには今でも頭が上がりません。


この問題は僕自身で解きほぐさねばならないことなのでしょう。


だからこれ以上の言及は避けます。


僕に本気で怒ってもらいたかったこと、それは今でも後悔しています。


僕の変な情けが、いや違う、物事を茶番だと思うその気持ちが、あなたを本気で怒らなかった一番の原因であり、僕の最大の失敗であり、後悔です。


きっとそれすらもあなたは見抜いていたのでしょう。


そう言った意味では、僕は人間を舐めていたのかもしれません。


ここまで見抜かれた上で、あなたはあの遺書を残したのでしょう?


あなたの命を張ったその証明を理解するのに、僕はとても長い時間を要してしまった。


本当にごめんなさい。


今なら、今だからこそ、僕は本気であなたに怒ることが出来るのでしょう。


周りから見れば、それは遅かったのかもしれない。


でも違う、あなたは全てを、自分の命の損失さえも、織り込み済みだった。


「どうせ逝くなら、最後に宿題を残してやろう、せめてそれくらいは。」


きっとこれがあなたの、あんたの、最後に遺してくれた遺書より先に続く手紙だと思って、今は納得しておきます。


ありがとう。

 

じゃあ、またね。

昔から無駄なことが好きだった。

子供の頃、特に幼稚園にいた頃のもっぱらの遊びといえば、意味なく走り回るか、ひたすら泥団子を作っていた。

そこに一切の意味を込めてはいなかったし、普段から考え事をしているのだから、遊ぶときはせいぜい意味のない事がしたかった。

目一杯走り回るか、集中して泥団子を作った後は、いい感じに体も疲弊していて、そのあとの考え事がとても捗った。


そんな無駄なこと好きが高まり過ぎて、僕は2006年ごろからネットに駄文をアップすることにハマった。

そう、僕の文章は電子の泥団子だ。

今でこそ、多少の文章技術は身に付いたけれど、つい最近初期の文章を読み返してみたらまあそれはクソみたいな文章で、よくこんなもんを書いてきたなって思う。

でもそれも積み重なって、12年くらい経ってしまった。

今でも意味のない文章を書き連ねることが好きかというと、最近の僕はそれを躊躇っている。

いい加減何かを成さないといけないのかもしれないと、そういう強迫観念に襲われているのだ。

今もキーボードをたたく指が震えていて、この文章自体も何度目かの書き直しだ。

何がそんなに怖いのか、それの洗い出しをしながら、探りつつ文章を書いている。

かつては、自分が納得する上手い文章回しを目指して書き綴っていた。

ただただ、自分の納得だけを追い求めていたのだ。

けれど、僕の中に長年蓄積されたフラストレーションは限界にまで膨れ上がっている。

どんなに上手な文章回しが浮かんでも、それを書き連ねたところで。

僕の中の疲労や、後悔や、悲しみ、怒り、疑問、諦観。

そういったネガティブなものが鎮まりそうにないのだ。

ポジティブなものも鎮まりそうにないl。

話を少しそらそう。

僕は最近、何人かの友人達とどういう訳か文通を行っている。

その中の二人に、僕は良い感じの(自分ではそう思っている)言い回しを書いた。

「命には善き使い道があって、自分のそれを探すのが人生なのかもしれないね。」

こんな感じの事を書き連ねた。

蓋を開ければなんてことは無い。

僕は友人たちに「善き命の使い道を探しなさい。」と言っておきながら、自分の命の善き使い道すら知らない。

そういった先の見えない焦りが、僕の無駄好きを全力で否定して来るのだろう。

「まだ何か、もっと上位の最善があるのかもしれない。焦れ、すぐに見つけなければあっという間に死んでしまう。そんなことをしている場合か?」と。

話をまた変えよう。

ここ10ヶ月くらいの間(厳密に言うと父の末期がんが判明した辺りから)、

政宗さんは本当に頑張ってるよ。他の人だったら出来ないレベルの最善を尽くしている。」

言葉選びは違うけれど、こういうニュアンスの言葉を僕にかけてくれた人たちがいた。

そうだ。

からしたら、僕は十分最善を尽くしている。

そしてそれは今後も変わらない。

ここまで書いて、ようやく僕は何かをつかみ始めている。

多分、この焦りは戦地帰りの帰還兵のそれに似ている。

恐らくこれが、僕自身に自らかけた呪いでもあり、祝福なのかもしれない。

強く生きるためには、こうするしかなかったのだろう。

それは仕方ない。

だからと言って、どうすればいいんだろうか。

この胸の内に溜まったフラストレーションの行先は、破滅願望だ。

それを抑え込むためには、強く在らねばならない。

だけど、強く在るだけ焦りが生じる。

これは無限に続くイタチごっこの様相を呈してきた。

もしかしたら、自分の弱さを認める時が来たのかもしれない。

あるいは自分の醜さというべきか。

はぁ。

そんなことを考えつつ、今日も眠る。

徒然近況報告

というわけで2~3週間前に入院騒ぎがあってからしばらく経ったわけです。

結局、様々な事情が込み入って任意入院はキャンセルしました。

それにあたり、医師の指導のもと、常用薬を頓服転用して用量を守りつつ、今までの倍以上をガンガン盛っています。

実を言うと、この入院騒動の一件とかでもう本当に意気消沈しておりました。

現在も準備の段階で話が進んでいるとある手続きや、この入院の一件とかをきっかけにして、人生において「諦める」とは何なのかを深く考えさせられました。

人生の数々ある物事に対して、諦めて割り切るというのは本当に気力がいる事です。

恐らくそれは登山のそれと同じで、人生ってのは登る事よりも、降る方にエネルギーが必要なんだと思います。

ましてや、今まで「生存する。」という一点に関して一切を妥協せず、賭け続けてきた僕には、それはとてつもない労力でした。

そういうことを考えつつ、28日は入院騒動以来の診察でした。

最近の主治医さんはとても話しやすい雰囲気で、上記の準備段階で事が進んでいる手続きとか諸々を語ってみました。

手続きの事に関して、主治医さんが口を開きました。

政宗さんはかつて、『いつか病を克服して、社会から今まで受け取った分を恩返しして還元したい。』と仰っていませんでしたか?」

「それは今でも思っています。」

「でもその手続きを取るということは、諦めるということですか?」

その言葉の後は、なんて返事をしたのかよく覚えていないです。

あの診察から三日、未だに僕は考え続けていました。

僕は何を諦めようとしていたのか。

自分は本当に諦めたいのか、それとも賭けに出て戦い続けたいのか。

いや、まあ、正直に全部打ち明けます。

疲れ切ってたんです。

28日の診察を受けるまでは、諸々にケリを付けようと、全てにカタを付けるつもりで生きておりました。

幕を引いて、ひっそりと今の世捨て人スタイルを深化させていこうと、今の自分にはこれまでの思い出があるだけでも十分だ、そうだこれ以上は何も要らない。

そう考えていた次第です。

終活、と言えば聞こえはいいものかもしれませんが、実際やってみて、そんなに美しいものではないのがよく分かりました。

で、話は医師の診察に戻るのですが、僕の主治医さんは基本的に上記のような問いかけはしない方なんですよ。

その主治医から「諦めるんですか?」と問われたわけです。

こればかりはちょっと衝撃を受けてしまいました。

それからずーっと考えていたんだけど、やっぱり諦めたくないです。

もっともっと、頑張り通しでやってみたい。足掻いて抗い抜きたい。


足掻く結果として、今までも、そして多分これからも、過去のあらゆる積み重ねが現在の自分へと土砂降りの様に降り注ぐとは思います。

それでぬかるんだ足元の泥は、けっして僕を離そうとはしなかったです。

それは恐らく、そして残念なことに、これからも変わらずにそうなのだと思います。

これまで手に入れたあらゆるモノは零れ落ちていったし、これぞ自分の求め抜いた真理だと思ったものも、あっけなく壊れていってます。

だけど、触れ合った人たちの温みはしっかりと覚えている。

これだけは確かです。

そして、人生は短いが、先は長い。

だが終わりが来るときは一瞬だ。

ならせめて、後悔が無いように、生き急がねばならない。

だから、もうちょっと、頑張ってみようか。

なんとか生き延びた。

金曜日の夜中にちょっと頭の中に深めに潜ってグニャグニャと25年熟成モノの考え事をしていたら、まあ土曜の寝起きから巨大な希死念慮に囚われてしまいました。


今こうやって文章を書けているのが本当にラッキーで、下手したら昨日か今日でこの世を去っていた可能性が濃厚で、今回は本当にヤバかった。


行動する都度、普段からの癖で文章記録は取ってて、自分で読み返してみたら、まあ「入院した方がよくね?つうかよく生きてたなあんた。」以外の感想がない。


こういう時わりと足が動くってのは本当に厄介だなと実感。


かといって人に話してスッキリするような考え事かというと、そういう問題でもない。


たぶん一人で思考し続ける疲れもあるのでしょう。


でも自分で答えを出せないと納得できないですからね。


何とか生き抜いてやっていくしかない。


とにかく、この二日間、どこで何を考え、何をしていたかの詳細は省きます(書き出しはしたけどとても人に見せられない)


今も鬱々としているけど、何とか希死念慮のでかい波は引きました。

 

とりあえず、もう寝ます。