統合失調症患者の徒然日誌

毒にも薬にもならぬ文字を書き捨てる。

~精神疾患と希死念慮に向き合いすぎて、精神的仮死状態になっていた僕の精神を蘇生させる方法を模索するお話~

序章

 

ある大学の看護学部生(Mさん)とお話ししていた時のこと。

 

「そういえば政宗さん、Twitterで占いガチ勢に占ってもらったとかtweetしていたけれど、どんなこと言われたの?」

 

この記事を書く数日前に僕は友人の友人で占いガチ勢の方に占ってもらっていた。

色々なことを言われて、ほとんどが当たっていた。

 

ざっと箇条書きにすると、

 

・理想が高く、自分の中の世界観が固まっている。いいことなのだけれど、周囲を置いてけぼりにして一匹狼になりがち。

 

・その高い理想が影響して思いやりが欠けがちで、ついつい心無い言葉を相手の会話にはさみがち、言葉に気を付けるべし。

もっと黙って人の話を「うんうん」と聞いていた方がいい。

 

・人生の大きな山と谷は合計するとあと四つある。前半が肉体面で、後半が精神面。肉体面は回避可能だが、精神面は遅かれ早かれ必ず来るうえに、今まで以上のどん底に落ちるが、その落ちた苦しみよりも底から這い上がる時の苦しみの方がしんどい。今のうちに考え方とかを軌道修正しておかないと、その這い上がる苦しみは一生ものになる可能性がある。

 

・さらに言うと、人生のイベントを経験してはいるけれど、そのイベントの結末までは完全に回収しきれていない。エピローグの起承転結で言うと、承の部分までしかたどり着けていない。

 

大筋ではこういうことを占い結果で言われたのであった。

 

それをMさんに話したところ、「うーん、わかる気がするなあ。確かに政宗さんは思いやりがあまりない気がする。」と言われたのであった

 

実を言うと僕は、昔っから「思いやりがない。」と言われてきていた。

もしかしたら「今のうちの考え方の軌道修正」とはこのことかもしれない。

 

僕はMさんにどんなことで思いやりがないと感じたかを具体的に話してもらった。

これはMさんのプライベートで繊細なエピソードなので詳細は省くが、以前Mさんからある話を聞いた時、僕は「そうだったんだ、大変だったね。」としか答えなかったとのことで。

それが声質から共感とかの類のないトーンでの返事だったらしい。

 

他にも元カノとのやり取りなどの話を聞いて感じたことらしいが、

「寛容さと不寛容さのある時が極端で、しかも自分の寛容さを”思いやり”と勘違いしている節を感じる。寛容さと思いやりは似ているようで違うよ。」

とのことだった。

 

どうすればこういう状態を改善できるだろうか、と僕はMさんに聞いてみた。

 

「それはね…」

 

話はそこから始まる。

 

第一章

ジョハリの窓

 

「まずは自分を知ることだよ。便利なものでジョハリの窓、っていうのがあってね。」

Mさんが説明する。

 

ジョハリの窓1955年に心理学者ジョセフ・ルフト氏と、ハリー・インガム氏が公開した「対人関係における気づきのグラフモデル」、これがのちに「ジョハリの窓」と呼ばれるようになったらしい。

ジョハリ、とはJosephHallyの二つの名前を掛け合わせてJohari(ジョハリ)と呼ぶらしい。

自分をどのように公開し、どの部分を隠蔽するかという、コミュニケーションにおける自己の公開とコミュニケーションの円滑な進め方を考えるために提案されたモデル。

 

このグラフモデルは、ちょうどマイクロソフトWindowsロゴマークのように四つの窓からなる。

 

・左上の窓「公開された自己」(open self)、つまり自分にも他人にもわかっている自己。

・右上の窓「盲点の窓」(blind self)、自分は気がついていないものの、他人からは見られている自己

・左下の窓「秘密の窓」(hidden self) 、自分は気が付いているものの、他人には気が付かれていない自己

・右下の窓「未知の窓」(unknown self) 、自分を含めた誰からも知られていない自己。

 

の四つからなる。

 

「自己分析してこれらの窓にそれぞれの自己を当てはめていけば自然と自分がどういう人間なのかわかってくると思うよ。」

 

そしてMさんは次の話を説明し始めた。

 

「あと当てはまりそうなモデルケースがいくつかあるよ、一つはフィンクの危機モデルっていうのがあってね…」

 

第二章

「フィンクの危機モデル」

 

アメリカの心理学者フィンクが危機的状況を4つの段階で示した危機モデルのことである。

段階は、

 

1.衝撃(ショック)
強い不安から混乱状態になり、無気力状態に陥る段階。

 

2.防御的退行
自分自身の状況を否認したり、反対に願望のような回復に対する期待を持つ段階。

 

3.承認
色々な葛藤がありながらも、少しずつ自分自身の状況を理解していく段階。

 

4.適応と変化
新しい価値観を見出し、現在の自分自身を受け入れる段階。


の四段階あるそうだ。

看護の世界で出てくる言葉らしい。

 

Mさんは言葉を続ける。

 

政宗さんのメンヘラ.jpの最初の記事を読んだ時と、さっきの人生のイベントの結末を回収しきれていないって話を聞いて思ったの。2つ目の防御の段階までは進んでいると思うんだけれど、3段階目の承認するところまでは進んでないのかなって。まだ色んなことで葛藤してるでしょ?」

 

「でもこれもクリティカルに当たっている気がしないんだよなー…。」

 

Mさんはしばらく考える。

 

「他にはコーンの段階理論、っていうのもあってね。」

 

第三章

「コーンの段階理論」

 

これも障害を持ってしまった人の段階理論らしい。

 

1.ショック
発症・受傷直後であり、現実に起きていることが「自分自身とは関係がない」というような衝撃を感じている段階。

 

2.回復への期待
自分自身に起きていることを否認し、すぐに治るだろうと思い込もうとする段階。

 

3.悲哀(悲嘆)
徐々に現在の状態や状況を現実的に理解しはじめ、自分の価値が無くなり、全て失ってしまったと感じる段階。

 

4.防衛
前向きに捉えることで、障害をものともせず感じることができはじめる段階。もし前向きに捉えることができなかった場合は、心の平静を保つために防衛機制を多用することがある。

 

5.適応
障害を受け入れ、障害は自分の個性のひとつであり、それによって自分の価値が無くなることはないと考え始める段階。少しずつ、他者との交流も積極的になっていく。

 

「これに当てはめてみても、自分の状態や状況はわかっているけれど、4の防衛で止まっている気がする。だけどこの理論も完全に当てはまる気がしないんだよな…」

 

しばらく考えたすえに、Mさんが口を開く。

 

「クリティカルに当てはまる理論があったよ。」

 

第四章

キャプランの危機理論」

 

ターミナルケア終末医療)にも関わる理論として、キャプランの危機管理というものがあるそうだ。

この危機理論は、個人が障害に直面した時、それが習慣的な問題解決の方法を用いても克服できないときに発生するらしい。

危機は混乱の時期に続いて起こるそうで、危機には次の4段階があるそうだ。

 

 

1段階
緊張が強くなる。習慣的な問題解決を用いて解決しようとする。

 

2段階
問題解決ができず、次第に緊張が高まり、感情面の混乱が生じる。

3段階
さらに緊張が増大すると、その緊張が強力な内的刺激として働き、内的・外的資源を動員する。緊張の問題解決規制が試みられる。

4段階
問題が持続すると、パーソナリティの統合性が失われ、精神障害になる。


危機には発達的危機と状況的危機とがあり、

発達的危機
エリクソンの生涯発達理論における各発達段階を超える過程で遭遇する心理・社会的危機であり、誰もが経験する。

状況的危機
病気、死別、事故などの偶発的なできごとに直面したときに、その準備が不十分で対処ができないときに起こる危機である。

 

 

Mさんが説明する。

 

「大うつ病性障害では精神的にも肉体的にも疲弊しきった状態で、酩酊状態っていうのがあるんだけれど、この場では語弊がありそうだから、昏迷状態と言い換えるね。」

 

政宗さんの場合は第4段階から身動きができない状況下に置かれすぎて、精神的に仮死状態にあるのではないか、と思うんだよ。造語になっちゃうけれど、精神的仮死状態ってやつかな。」

 

政宗さんの今までの人生の間に起きた出来事と、統合失調承の感情鈍麻が究極的なまでに高まってしまって、そこに肉体的に生き残るための処世術、メンヘラ.jpに投稿した『僕はまだ生きていたい。』というサバイバル技術が影響して、精神的な昏迷状態に至らず別方向の精神的な仮死状態にあるんじゃないかな、と考えられるよ。」

 

僕「つまり、精神的に仮死状態にあるから、いや、心がどこかで止まっているって表現がいいのかな、そういう状態だから、共感性や思いやりに欠けた言動が多いということ?」

 

「そういうことなんじゃないかなって推測するよ。つまり仮死状態の精神、心・感情を蘇生しないといけないんじゃないかなって。」

政宗さんの文章と語りは、自分に起きたことなのに、自分自身の感情がそこにないように感じたりするんだよね、どこか他人事みたいになってるというか。」

「メンヘラ.jpに最初に投稿した記事でも、『しんどかった。』とかは書いてあるんだけれど、具体的にどう思ったか、どんな感情が沸き上がったのか、まったく書いてないでしょう。」

 

「うん、その通り。」

 

僕は自分の本質を突かれたなと思った。

実を言うと、今までメンヘラ.jp等に書いてきたことはすべて事実なのだが、思い出しても感情が全く湧き上がってこないのだ。

自分に対する共感性がないと言ってもいいくらい、自分のことなのに他人事のように感じてしまっている。

自分に対して共感性がないということは、他者に対しても共感性が無いか、もしくは著しく低いということだ。

ここを改善しないと、自分は前に進めないのだろう。

あとは改善するための方法を本を読むなりして模索するしかない。

 

仮死状態の精神を蘇生させるための戦いが始まったのであった。

死ぬことはもうやめにして、生きる方を選ぼう。

 

これから僕はどんな生き方を選んでいくのだろうか。

選択は僕の手に委ねられた。

 

fin