統合失調症患者の徒然日誌

毒にも薬にもならぬ文字を書き捨てる。

自分の中に眠っている言葉たち。

こんにちは、政宗です。

ここ数日はTwitter断ちをして、自分の中に眠っている言葉と向き合っていました。

おもに一人前190円なのに、上質な馬肉を食ったり、餅を一気に六つ焼いて食べたり。

エモいお気持ちになれる景色を探しに散歩したり。

そんな感じで日常を穏やかに流してみたけれど、やはり心のどっかでは現状流れている人生って川の緩やかな流れを止めたいみたいな衝動があって。

人生ままならないなあと思いつつ、そんな衝動に立ち向かったり。

やっぱりね、小さい頃から続くそういった衝動っていうのは、この年になるともう生き方の癖になっているし、たぶん性格というシステムの根幹に食い込んでいるんだなって思いました。

でもね、いい加減この根幹の部分とガチンコにぶつかり合うってのも疲れてきてます。

かといって、この問題が完璧なまでにガラッと解決した時、それは僕なんだろうかって気もするんです。

人生の流れを終わらせる衝動の達成と、そういった衝動が全くと言っていいくらい無くなって生きた場合、どちらも衝動の終焉としては同義であるような気もします。

少なくとも、この衝動が消えるという点については。

なんてことを考えていたら、それなら達成されようがされなかろうが、あんまり大差はないのかなって気もします。

ならこのまま臆病な形で生きていくしかないんだろうなって、最近は思うようになりました。

哀しいことに、人生最速クリアタイムアタックを決めてきた人物が、この人生で何人かいます。

とても哀しいです。

彼/彼女たちは思い出の中にしかいないため、これ以上老けることはありません。
それと同様に、新しい思い出を作って行くこともできません。

だけれどそれでも時間は残酷に流れていき、思い出には補正がかかって、記憶の中のあいつらはキラキラと輝いていきます。

時たま、頭の片隅であの人たちが文句をつけてきます。

「なんでお前はまだ生き延びているんだ、一番の死にたがりはお前だったはずだろう?」
「自分たちは死んだのになんでお前は生きているんだ。」

もう言い返す言葉すら出ません。だってその通りなんだから。

自分でもなんでここまで生きてこられたかは、さっぱり理屈が分からないです。

時たまそんな僕を指して、強いよね、と言ってくれる人がいます。

違うのです。僕は強くない。

きっと、僕はあの人たちよりとても臆病なんだと思います。

先に逝った人たちは、とても意志の強い人たちでした。

だからこそ、それだけ意志が強いからこそ、この世から去った今でも、僕の頭の中に残り続けているのでしょう。

「ごめんな、お前たちみたいには強くなれそうもない、臆病者なりに尽くせる手を使って何とかしぶとくまだ生きるわ。死ぬのを忘れたわけじゃないんだ。ただ、怖いんだ。だから俺は生きるよ。」

あの人たちが頭の中に出てきた時に贈ることが出来る言葉は、これくらいしか今の僕は持ち合わせてません。

というわけで、自分の中に眠る言葉に出会った約三日間なのでした。