統合失調感情障害患者の徒然日誌

毒にも薬にもならぬ文字を書き捨てる。

クリスマスイブ、大晦日、元旦、正月明け。

年末から年始にかけて、他者の「死にたい気持ち」に触れてました。

思えば自分の死にたい気持ちにはとことん向き合っているけれど、他者のそういった気持ちはあまり見聞きしたことがないと思う。
(とは言ってもそれなりに人から聞いてはいる。)

23日の夜に、都内在住の人物から夜中に「確実な死に方を教えてください。」という連絡がきた。

本人の口調はろれつが回ってなくて、おまけに相手は泣いていて、言葉をうまく聞き取れない。

説得を試みたけど途中で通話が切れてしまう。

連日の体調不良で翌日の昼過ぎに起きて、初動をミスったと思いつつ都内まで向かう。

本人は家でぶっ倒れてたけれど何とか生きていてくれた。

とりあえず看病で水分とかを多めに飲ませて、夕方になって川崎をぶらぶらして解散。

二日後の26日に一緒にガンダムの新作映画を見たり、年末年始は「おせちが余るから食べに来る?」とお呼ばれしたので、再び都内へ。

三日に埼玉に帰ってきて、四日の夜に連絡をしたところ、ひっ迫した状況になっていた。

慌てて終電で都内に向かって、初手で救急に連絡するか悩んでいるうちに都内へ。

当人は生きていてくれて、その人が落ち着いて冷静にしゃべれるまでずっと待ち続けた。

途中で眠ったりしつつ、翌日の午後4時ごろからぽつりぽつりと、その人は自分の死にたい気持ちを喋り出してくれた。

連続的に身内に不幸が続いていて、「自分よりも先に人が逝くのが悲しい、悲しくて耐え切れないからみんなよりも先に死にたい。」

泣きそうな顔でそう語っていた。

その人の悲しみがなんとなくの形で伝わってきて(だって個人の悲しみはその本人にしか抱けないから、完全には理解しきれない。)

ものすごく言わんとしていることは伝わるんだけど、どうしても完全にわかってあげることが出来なくて、でも分かりたくて。それがとても、もどかしかった。

僕自身も色々な死を乗り越えてきて、なんでこんな辛くて悲しい思いをして生きていなきゃいけないのか、全く分かっていない。

こんな悲しい思いをするなら生きていたってしょうがないとさえ思う。

それに、僕は高校、短大と微生物を通して生命にかかわる学問を修めたというのに、未だに命の意味が分かっていない。(これに関しては本当に愚かだと思っている。)

だから今でも自分の命の意味と実存を知るために、死のうと考えている時が頻繁にあるし、こういう思考の癖がついている。

それでも生きているのはかなり偶然に近いし、この偶然の根底にあるのは、かつて母から心中を迫られた時に「それでも生きていたい。」と言った言葉が働いているからだ。

それでも生きていたいと言った以上、僕がそれを突き通さなければ嘘になってしまう。

なぜそこまでして生きるのか、僕に理由は分からない。

分からない以上、確かめねばならない。

でも確かめていくことも辛い。

それでも生きていた方が幾分かマシだったと、僕は自信を持って言えるから、だから皆に「それでも生きようよ。」と言い続けたい。